廣爺の備忘録
航空母艦 祥鳳 竣工時
航空母艦 祥鳳 外観図
岳父の戦死とお墓
土屋 光 経歴
明治44年10月28日,土屋正太郎四男として出生、製図工となり就職,
昭和6年1月10日横須賀海兵団に入団、海兵団より工機学校長門高等科に進み、
航空母艦剣崎に乗組、昭和17年2月4日空母祥鳳に乗組、横須賀港を出航、
昭和17年5月7日ニューギニヤ南方海上にて戦死、
海軍兵曹長、勲七等功六級、戒名 海南院浄忠光範居士。行年 31歳
航空母艦 劒崎
日本海軍航空母艦 祥鳳の竣工から撃沈までの経過
1934年(昭和9年)11月5日、日本海軍は正式に特務艦「剣埼 (ツルギザキ)」と命名。
同年12月3日、横須賀海軍工廠にて、剣埼は潜水母艦大鯨、最上型巡洋艦3番艦鈴谷と
同一船台で起工した。のちに航空母艦へ改造された。
太平洋戦争開戦後の1941年(昭和16年)12月22日、
航空母艦として竣工。この時に「祥鳳」と改名した。
祥鳳は1942年(昭和17年)5月7日の珊瑚海海戦にて、
第六戦隊司令官五藤存知少将が指揮するMO攻略部隊
MO主隊(青葉、加古、衣笠、古鷹、祥鳳、漣)
として日本軍輸送船団を護衛中に、フレッチャー提督
とフィッチ提督が指揮するアメリカ軍機動部隊
(第17任務部隊:ヨークタウン、レキシントン)
艦上機の攻撃を受け撃沈された。
祥鳳では短時間のうちに過剰ともいえる爆弾と魚雷が命中して大火災となった為、
乗組員は手の施し様がなくなった。9時31分(現地時間11時31分)に総員退艦が発令される。
だが、相当数の乗組員が配置についたまま沈んだ。
退去命令より間もない9時35分(現地時間11時35分)に祥鳳は艦首から沈没し始め、
アメリカ軍が沈めた史上初の空母かつ日本が喪失した最初の空母となった。
航空母艦 祥鳳 詳細
全乗組員 836名
戦死 631名
生存者 205名(負傷者72名)
排水量 13,000トン
全長 205.50m
最大幅 20.00m
Mo作戦とは、
第二次世界大戦中に日本軍が計画した
ポートモレスビー攻略作戦
年月日:1942年3月7日〜1943年1月23日
場所:ニューギニア島東部パプア半島
結果:オーストラリア・アメリカの勝利
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